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第4回 みらいつくり哲学学校 「第2章 公的領域と私的領域(4~6節)」開催報告

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2021年5月11日(火) 10:30~12:00、第4回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

偶数回は、ハンナ・アレント著, 清水速雄訳『人間の条件』を課題図書にしています。

 

今回取り扱ったのは、「第2章 公的領域と私的領域(4~6節)」でした。

 

前回取り扱った<活動的生活>(「労働」「仕事」「活動」)は、何かを行うことに積極的に係わっている場合の人間生活のことです。
活動には、物や土地や政治体などの、私たちがそこに生まれてくるこの世界(=環境)が必要です。

 

人間の活動力は、人々が共生しているという事実によって条件づけられており、<活動的生活>のうち「活動」のみが、人々の社会がなければ始まらないと述べます。
アレントが人間の条件でもっとも重視している「活動」と、共生は密接に関連しているようです。

 

 

古代ギリシャのアリストテレスは、人間を「政治的動物」と言いました。その言葉を、セネカやトマス・アクィナスは「社会的動物」と言い換えました。

 

この頃から無意識のうちに、政治的なものを社会的なものに置き換えられていきました。

「社会」というラテン語は、もともと政治的意味もありました。それがだんだんと政治の意味合いが薄れ、「ヒトの社会」という概念ができてから、社会=基本的な人間の条件という意味を獲得し始めました。

 

古代ギリシャでは、政治と対立するものとして、家庭がありました。
当時、すべての市民の生活は、

①自分自身のもの(家庭) ②共同体のもの(都市国家・ポリス)

という2つの存在秩序に属していました。この時点では、社会というものはなかったということですね。

 

アリストテレスの「政治的生活」では、人間の共同体に必要な活動力として、「活動」と「言論」が挙げられていました。

ポリスは、「最も饒舌な政治体」でした。その影響で、活動と言論は分離し、重点は活動から(説得の手段としての)言論に移っていきました。

 

私的・公的なものでもない「社会的領域」は、比較的新しく登場した領域です。その起源は近代の出現と同じで、その政治形態は国民国家に見られます。

「公的領域」と「私的領域」
「ポリスの領域」と「家族の領域」
「共通世界に係わる活動力」と「 生命の維持に係わる活動力」
古代の政治思想は、上記のように領域を区別していました。ですが今となっては、このように区別をするのは困難になっています。

 

古代ギリシャの家においては、炉(竈)というものを大切にしていました。
炉(竈)は家の中心に置いてある火のことで、ポリスが市民の私生活に侵入するのを防ぎ、それぞれの財産を取り囲む境界の役割を担っていました。

逆に言うと、家をもたなければ、人は、自分自身の場所を世界の中にもつことができず、世界の問題に参加することができなかったそうです。

 

 

個体の維持と種の生命の生存のために、他者の同伴を必要とするということで、

・男の任務:個体の維持=栄養を与える労働
・女の任務:種の生存=生を与える労働

家族内の男女は上記のような役割を持ち、家族という自然共同体は、必要(必然)から生まれたものだとします。

 

 

一方で、ポリスの領域は自由の領域だといいます。
それは暴力によらない在り方で、この自由は、ギリシア人が「至福」(エウダイモニア)と名づけたものの不可欠の条件でした。

 

自由であるということは、
・生活の必要(必然)あるいは他人の命令に従属しないということ
・命令する立場に置かれないということ
つまり、支配もしなければ支配もされない状態の事です。
また、平等は、現代のように正義と結びついているのではなく、ほかならぬ自由の本質でした。

 

政治が社会の機能となったことで、現代世界は「社会的領域」と「政治的領域」があまりはっきり区別されなくなりました。

そこから、人間の活動力をすべて私的領域にもちこみ、家族をモデルにして人間関係を作り上げる傾向が進んでいきました。そこから、都市の中に職業組織、ギルド、同業組合が生まれました。その後、初期の商業社会も生まれていきました。

 

公的領域の中へ社会が現れてきた中で、私的なものと公的なものとの古い境界線があいまいになっていきました。
近代では、「私的なもの=親密さの領域」という考えが主流です。

 

一方、古代人における私生活は、
・privative = deprived(なにものかを奪われている)
・人間の能力のうちで最も高く、最も人間的な能力さえ奪われている状態
・公的領域を樹立しようとさえしない人間は、完全な人間ではなかった
というものでした。

 

現代の私たちは、私生活は剥奪を意味するとは考えません。それは、近代の個人主義によって私的領域が著しく豊かになったためと考えられます。

その影響もあってか、18世紀半ば~19世紀の三分の二あたりまで、詩と音楽が驚くほど花開き、社会的な芸術形式である小説が勃興しました。その一方で、多くの公的芸術、とくに建築が驚くほど衰退しました。

 

社会というものの特徴として、一様化の要求(画一主義)があります。
これまで共通の利害と単一の意見は、家族という単位でまとめられていましたが、社会の登場によって、それぞれの社会集団へ吸収されていきました。

 

画一主義とは、取るべき模範解答を押し付けることです。
人間が社会的存在となり、一致して一定の行動のパターンに従い、そのため、規則を守らない人たちが非社会的あるいは異常とみなされるようになりました。

 

画一主義のこの考えを学問的に支えたのは、統計学です。
「活動」の結果や出来事は、統計学的に見ると、ただ逸脱あるいは偏差として現れるそうです。
人口の増加に伴い、統計学的には、偏差がなくなり標準化が進んでいきました。

 

社会は、生命過程そのものの公的組織にほかならず、近代の共同体はすべて、生命を維持するのに必要な唯一の活動力である「労働」を中心とするようになりました。

今回は、社会の成り立ちや、古代の共同体などについて触れられていました。

 

ディスカッションの時間は、

 

「詩と音楽、小説が盛んになる一方で、建築が衰退した」という部分について、
建築に携わっていた参加者から、「当時はパトロンと作家の関係、権力を示すため、資金を投入し建築等をしていた。権力に興味がない人が増えたことから、大衆芸術が流行したのでは?」という考察が出ました。

 

また、「自由・勇気・炉(竈)」というのは、ジブリ作品の『ハウルの動く城』に関連しているのでは?という話題や、現代は生き方を選べるのはいいけど、それは受けてきた教育によって変わるのだろうというお話がありました。

 

我々にとって、現在の社会の在り方やプライベートの意識は、当たり前のものです。古代は違う在り方だったと知り、新鮮な発見でした。

 

次回、第5回(奇数回)は、5月25日(火)10:30~12:00『人生の哲学』より、「第3章 生と死を考える(その3) 永遠性の問題」を扱います。レジュメ作成と報告は、家庭医の大久保先生が担当します。

第6回(偶数回)は、6月1日(火)10:30~12:00、ハンナ・アレントの『人間の条件』より「第2章 公的領域と私的領域(7~9節)」を扱います。

 

参加希望や、この活動に興味のある方は、下記案内ページより詳細をご確認ください。
皆さまのご参加をお待ちしております。

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

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