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「宗教学」についての報告です🎇

12月に2回開催されました「宗教学~死生観を学ぶ」についての報告をさせていただきます。

今回の「宗教学」は『宗教観の違いを通して多様性を知る』『宗教の観点から【生と死】について考察する』という二点を目標に行われました。
キリスト教の牧師、仏教の住職をお招きし、全く別の宗教・思想・立場から講義いただきました。

 

【キリスト教】
キリスト教は手稲区にあります、日本福音キリスト教会連合 グレースコミュニティ 益田結牧師に講義をしていただきました。
聖書を基に60分講義、30分質疑応答で行われました。

キリスト教は、救済を目的とする宗教であり、「真の神であり真の人であるイエス・キリストが唯一の救い主である」ことを信じることによって救われる宗教です。また、キリストの死を土台とした宗教で「神が人となり世に来られた」と表現しています。死んで蘇るところはとても非科学的ではありますが、自分が生きる理由というのを表しているのです。

聖書の中で「罪」という表現があるのですが、解釈としては、罪の基準は各国の法律であるとともに、
・人が神のようになること
・的外れな考え方
・なすべき正しいことを知っていながら行わないこと
を罪人として扱っています。
この「罪」の理解がキリスト教を受け入れることができるのか、にかかっているそうです。

キリスト教における「生と死」については、人には死ぬことが定められており、「滅びる」社会的な死、肉体的な死、神との関係における死などがあります。「滅びる」ということを神は願ってはいません。しかし、神は間違いも犯しません。
永遠のいのちとは、「唯一まことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」と聖書には書かれています。神に救われるという解釈があります。人間が死なないというのではなく、イエス・キリストを知ること自体が永遠のいのちそのものだそうです。

益田牧師は、「聖書を全て理解しているから牧師をしているわけではない」とおっしゃっていました。
また、今回はキリスト教徒ではない参加者へも分かりやすく解説いただきました。
今回障害当事者の方の参加があるということで、最後に頂いたメッセージがあります。

「生まれつきの病や障害について」

病や障害のなどの問題の原因を罪のせいにしようとした弟子たちに、イエスが「この人(障害者)が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。この人に神のわざが現れるためです。」と言ったそうです。神の「わざ」というのが「障害」という形で現れ、「わざ」は神が愛された、愛して下さったという意味を含みます。
個人的な意見ですが、障害児の母親として自分を責める時もありましたが、このお話しで少し肩の荷が下りた気がします。

 

【仏教】
仏教は、豊平区にあります、日蓮宗・北海身延・第12世 松井義宣上人に講義をいただきました。
仏教の歴史から日本史を交えての講義、またあまり外部には流出しない修行の様子の動画まで、幅広い範囲でご講義いただきました。

仏教の始まりは「仏様」と呼ばれる「ゴータマ・シッダールタ」という方から始まります。
「ゴータマ・シッダールタ」は何不自由なくお城に住んでいた王子様でした。
四門出游(しもんしゅつゆう)という東西南北の門から外に出た時、自分と城の外の環境の違いに衝撃を受け、出家を決意したそうです。

ゴータマ・シッダールタは悟りを開くため苦行を行いましたが、ことごとく挫折しました。ところが、ある12月8日菩提樹の下で悟りを開くことに成功しました。その35歳の時に名前を「ブッダ」へ変更しました。
修行は厳しすぎても緩すぎてもダメで、ちょうどいいのが良いとされその加減を「中道」と表現しています。

日本の仏教は聖徳太子の時代に大陸を渡って入ってきました。
その頃は神道と仏教が混ざり合う宗教も存在しました。事例として上がったのが「大黒様」です。今でいうハイブリットというものですね。
鎌倉時代のお話しもあり、この時代は疫病や動乱などで世情が落ち着かない時代でした。
そんな時代に最澄や空海などの仏教界のスーパースターが誕生し、また法然、親鸞、日蓮、道元が一般庶民に関係なかった仏教を身近なものへと導きました。

その後の江戸時代や近代の話、また檀家制度や寺の役割について、日蓮宗が行っている修行についての講義をいただきました。

最後に生と死については「私たちは生きているのではなく、生かされている。縁の有難さや業を否定しない」というメッセージを頂き終了しました。

 

キリスト教と仏教は共通項もあれば、全く別の解釈もあります。
宗教に求めるものが個人の幸福や安心感、もしくは真理なのだとすると、住職が話していた「宗教や宗派は誰でも何かにフィットするものがある」というのは妙に納得のいくものだな、と思いました。
今回の宗教学に参加し個人的な意見として、「信仰には学びが必要」だと強く感じています。
日々の学びに偏りを感じた時に、宗教学を通して視野を広げる機会になるかもしれない、と思いました。

 

医療法人稲生会
宮田直子