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第22回 みらいつくり哲学学校 『存在と時間』第2篇第1章「死」後半

2020年10月6日(火) 13:30~15:00で、第22回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

偶数回はマルティン・ハイデガーの『存在と時間』を課題図書にしています。

 

前回から第1部の第2篇に入りました。公刊部の後半です。

今回は、第1章「現存在の可能的な全体存在と、死へとかかわる存在」の後半を扱いました。

 

前回に引き続き、「死」の分析が続きます。

 

ハイデガーはここで、「死の5つの特徴」を上げます。

 

①固有性

・死は現存在自身が引き受けなければならない一つの存在可能性である

・死とともに現存在自身は、おのれの最も固有な存在しうることにおいて、おのれに切迫している

・この可能性において現存在は、世界内存在そのものへとかかわりゆく

 

②没交渉性

・おのれに切迫しているときには、現存在においては他の現存在とのすべての交渉は絶たれている

・この最も没交渉的な可能性は同時に最も極端な可能性である

 

③追い越しえない

・現存在は、死の可能性を追い越すことはできない

・死は、現存在であることの絶対的な不可能性という可能性である

 

④確実性

・死は確実にやってくる

 

⑤無既定性

・死がいつやってくるかはわからない

 

現存在は、こういった特徴をもつおのれの「死」に「委ねられている」と言います。

この「死」は、「世界内存在に属している」とも言います。

また、「現存在が実存するときには、現存在はいちはやくこの(死の)可能性のうちへと被投されている」とも言います。

 

こういう状況が切実にあらわれるのは、「不安」という情状性においてだ、とハイデガーは言います。

現存在が「不安」という情状性をもつのは、「現存在がおのれの終わりへとかかわる被投的な存在として実存していることの開示性」だとも言っています。

 

しかしながら平均的日常性において現存在は、「ひと(世人)」として、「死へとかかわる固有な存在に直面するという居心地の悪い不気味さから逃避している」と言います。

 

「ひと」は、死を「死亡事件」として捉えます。

身近な人たち、疎遠な人たち、見知らぬ人たちが「日々刻々と死亡」している。

「ひとは結局いつかは死亡するものだが、差しあたっては自分自身には関係がない」として捉えます。

 

現存在のこの「死を隠蔽しつつ回避する」という特徴は、「日常性をきわめて執拗に支配している」と言い、「最も身近な人たち」が「死亡しつつる」場合においても、

「おまえは死をまぬがれて、おまえが配慮的に気遣う世界の安らかな日常性のうちへと、まもなくふたたびもどれるであろう」

と自分自身に言い聞かせるほどだと言います。

 

また、「死のことを考えることからしてすでに、公共的には、臆病な恐れ、現存在の不確実さ、陰気な世界逃避だとみなされ」、「世人は、死に対する不安への気力が起こらないようにさせる」とも言います。

 

では、このような「死」に、「本来的にかかわる」ということはどういうことなのでしょうか。

 

それは、「死」を「可能性」としてとらえ、その可能性へと「先駆する」ということだと言います。

 

 

それに対して、「死を現実化させる」ことは、死への本来的な関わり方ではないと言います。

「死の現実化」とは、「死に関して思い悩むこと」「死が来ることを期待すること」「計算ずくで死を思いのままにしようとすること」です。

それは、「死の可能性を弱める」ことになるからだと言います。

 

先に述べた「死の5つの特徴」それぞれについて、「死への本来的な関わり方」つまり「死への先駆」は、以下のように関係していると言います。

 

①固有性

・死の可能性へとかかわることによって、現存在自身の「最も固有な存在しうること」を開示する

・現存在は、死へと先駆しつつおのれをそのつどすでに世人から引き離しうる

 

②没交渉性

・死は、現存在を単独の現存在として要求する

・先駆において了解された死の没交渉性は、現存在を現存在自身へと単独化する

 

③追い越しえない

・おのれ自身を放棄することが、実存の最も極端な可能性として現存在に切迫している

・死の追い越し不可能性に向かって自由におのれを解放する

・おのれに固有な死に向かって先駆しつつ自由になることが、偶然的に押し寄せてくる諸可能性のなかへの喪失から解放してくれる

・しかもこのことこそが、追い越しえない可能性の手前にひろがっている現事実的な諸可能性をまずもって本来的に了解させ選択させる

・先駆は、最も極端な可能性として、実存に自己放棄を開示し、かくして、そのつど達成された実存に固執することを、どれもこれも打ち砕く

・終わりのほうから規定された、言いかえれば、有限的なものとして了解された、最も固有な諸可能性に向かって自由になる

 

「諸可能性」といっても、色々な「諸可能性」があるということなんですね。紛らわしいです。

 

「単独化」とは、文字通り「独りになる」ということなんですが、ここでハイデガーは「共存在」という現存在の特徴および「他者たち」について下記のように書いています。

 

・没交渉的な可能性として死が単独化するのも、ただ、追い越しえない可能性としての死が、共存在としての現存在に他者たちの存在しうることを了解させるためなのである

・追い越しえない可能性のうちへの先駆は、この可能性の手前にひろがっているすべての諸可能性をも共に開示するゆえ、その先駆のうちには、全体的現存在を実存的に先取する可能性が、言いかえれば、全体的な存在しうることとして実存する可能性が、ひそんでいる

 

本当の意味で死に独りで向き合うことを通して、「自分は他者とともに存在しているのだ」ということがわかり、自分の人生に色んな可能性があるということがわかることで、「全体的現存在」になれる、ということなんでしょうかね。

 

④確実性

・現存在は、死が確実だということを通して、自らが世界内存在だということをさとる

・死を真とみなして保持することは、現存在をその実存の完全な本来性において要求する

 

⑤無規定性

・死がいつやってくるかわからないことで、現存在は不安になる

・死へとかかわる存在は、本質上、不安なのである

 

以上の分析から、現存在が死へと本来的にかかわる「先駆」ということを、ハイデガーは以下のようにまとめます。

 

先駆は、現存在に世人自己のうちへの喪失を露呈してみせ、現存在を、配慮的に気遣いつつある顧慮的な気遣いに第一次的には頼ることなく、おのれ自身でありうる可能性に当面させるのだが、そのおのれ自身とは、情熱的な、世人の錯覚から解放されている、現事実的な、それ自身を確実だとさとっている、不安がりつつあるような、そのような死への自由におけるおのれ自身なのである

 

では、どういうときに「死へと先駆している」ということが明らかになるのか。何があれば現存在は「本来的に実存している」と言えるのか。

ハイデガーはそれを「証し」と言います。そして、以下のように書いて次の第2章へとつなぎます。

 

「これまではただその存在論的可能性において企投されてきたにすぎない死への先駆は、証しを与えられた本来的な存在しうることと、はたして本質上連関づけられるのかどうかという問題が起こってくる」

 

 

ディスカッションでは、以下のような意見が出ました。

 

・かつてはもう少し死が身近にあったのではないか

・少し前に死ぬかもしれないという経験をしたが、それが遠ざかるにつれて、その時の恐怖というか不安をできるだけ隠そうとしてしまう。もうそこには関わりたくない、あらためてそこに向き合って思い返すみたいなことはしたくな、と思ってしまう。その意味で、自分は立派な「世人」だと思った

・「死の現実化」というのが何を意味しているのかわからなかったが、「自殺」のことだと聞いてなるほどと思った

・以前に東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地域に仕事で関わっていた。コミュニティのスタンスとして「死」がものすごく近くにあった。たまたま震災の1週間前にコミュニティで避難訓練をしていた。その時に避難した場所で、「こんなところだったら大きな津波きたらみんな死んじゃうよね。丘の上にできた中学校に避難しないとだめだよね」とみんなで話していた。1週間後に地震が起きた時、みな一目散に丘の上の中学校に避難して全員助かった

・子どものころに阪神大震災を経験した。その後、狭いところや暗いところが怖くなった。その後、がんを経験した。それから10年以上経って記憶は薄れつつあるが、「死」について考えるのは怖くなくなった

・「自分の人生をどうたたむか」を真剣に考えないといけないと思った

 

 

次回奇数日は10月15日(木) 10:30~12:00(時間が午前に変更になっているので注意)です。

『生きる場からの哲学入門』より、第Ⅱ部第6講「存在しない仏に祈る -浄土仏教は生きているか」、報告担当はみらいつくり大学教務主任の宮田直子です。

 

次回の偶数回は、10月20日(火) 15:30~17:00です。

(いつもは火曜日午前ですが、諸事情により午後になります)

 

第24回として、第2篇第2章 「本来的な存在しうることの現存在にふさわしい証しと、決意性」の前半部分(第54~57節)を扱います。

 

 

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