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第21回 みらいつくり哲学学校オンライン 開催報告

2020年10月1日(木) 10:00~12:00、第21回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

奇数回は、大阪哲学学校編『生きる場からの哲学入門』を課題図書にしています。

今回は、「みらいつくり食堂」の運営を担っていた管理栄養士の久保香苗が、レジュメ作成および報告を担当してくれました。

テーマは、「農から現在を見る」でした。

著者は、「人間が生きて行くためには食べものが必要。スーパーで食べものを買うとしても、そこに並ぶまでには様々な方法・過程がある。」といった視点から、これまで~現在の農業の流れを通して、これからの農業と人々の在り方を哲学していきます。

 

農業が始まったのは、8000~1万年前とされています。それまで人類は狩猟や採集によって食べ物を手に入れてきましたが、並行しながら『半栽培』(特定の作物を栽培すること)の時代を経て、農業を中心とする時代になりました。

 

農業では、種の選抜や品種改良で、害虫などに強い苗や好まれる味や食感、収穫量が多いなど、人間に都合が良い種が残されてきました。このように、狩猟や採集に比べ、農業は自然に働きかける度合いが強く、自然の仕組みを変形させることがあると筆者は言います。

ただし、種が発芽して成長していく自然のサイクルは変えられず、自然の循環から離れられない点は、狩猟や採集と同じだとも指摘します。

戦後、復興や食糧難の克服のため、日本の農業体制は食糧の増産を基本としていました。

この体制は1961年の『農業基本法』制定によって、「食料完全自給・増産体制」から「農業生産力の向上・合理化」への転換が推し進められていきます。

 

それによって、

・機械化、化学化された農法による重労働からの解放
・企業的農業、儲ける農業という発想が生まれた
・共栄、共存の社会から競争社会へ

という変化が起こりました。

 

その結果、

・儲かる食物は増産・小規模な稲作農家は淘汰
・農業だけでは食べていけない事態(農産物の価格は上がらず、設備投資等のため借金が増加)が発生
・都市開発が活発化した影響で、農村へ工場の建設のための求人が押し寄せる
・都市部に魅力を感じた若者たちが農村から流出

というような影響を及ぼし、農業の就業人口は、1990年で480万人超だったのに対し、2018年には175万人と大きく減少しました。

 

上記のように農業は衰退してきているのにもかかわらず、「スーパーには1年中切れ目なく同じ商品が並ぶのはなぜ?」という問いから、生産の集中や流通手段・保存期間の発展によってそれらが可能となっていること。その一方で、価格面で勝負できず地元農家の野菜がスーパーに並ばない、農薬や化学肥料による自然への影響等の問題もあるといいます。

 

それらの問題に対応するため、近年では、「有機農業」や「地場野菜」(拠点とする地域の近郊地区から作物を集荷すること)という考えが広まっているようです。

筆者は、「地場野菜」は品揃えや安全性だけではなく、農の営為がもつ思想的な力に期待する部分がある、と考えます。

・消費者側は身近にある農村がどんな所か、どんな人たちがどういった想いで土と格闘しているかを知る
・生産者側は受け取る人たちの喜びや不満、期待を感じながら作物をつくる
ということができるとして、部分的でも豊かで人間的な関係が築ける点を利点として挙げていました。

最後に、新たな農業・農村への模索として、いきおい特定の品目に集中した効率的な営農の選択により、農業で生計を立てることを目標としている新規就農者の存在や、自給規模の「農」と「生きがい仕事X(何か)」の両立をして暮らす「半農半X」の生き方、若者を中心に都市から農村へ移り住む「田園回帰」の動きが広がっていることから、こうした志向とも結びつく形で、農村の多様な今後の展開を考えることもできるだろうと、農業を通した筆者なりの考えが語られていました。

 

 

ディスカッションの内容は、参加者と農業の関わりについての話題から広がっていきました。

 

それぞれの出身地や関連する地域での農業の状況を共有する中、家族が酪農を営んでいたという方もいました。北海道出身の参加者が多かったことも影響してなのか、皆さん何らかの形で、農業との接点や関心があったようです(そもそも作物を消費する時点で、誰しも接点がありますね)。

 

また、スマート農業の拠点づくりに携わったという参加者から、人手不足をICTで解決しようとしている現在のスマート農業の動きや、「農業を一番かっこいい仕事に」という理念で変革が行われていることが共有されました。

その動きには若者が多く関わっていることから、「既に長く携わっている先駆者がいて、なぜ若者が来るか?」という疑問が生まれ、認めてくれる場・後継できる場としての自分の居場所になっているのではないか。という考察がなされました。

 

その他、日常的に野菜を買う際には、安さを重視したいという思いと、家族のため安心安全なものを選びたいという思いの葛藤。環境を大切にしたい気持ちはあるが、電力等のエネルギーや様々な資源を必要とする状況で、どうすればいいのかわからない。といった参加者の思いが語られていました。

最終的には、「みらいつくり大学 農学部」の設立が検討されはじめ、哲学の場から一大プロジェクト誕生の予感が感じられつつ、今回は幕を閉じました。

身近にあるのによく知らないこと。農業もそうですが、障害をはじめとするマイノリティについても同じことが言えるのかな?と思いました。哲学はそういったことに目を向ける機会を与えてくれるのかもしれませんね。

 

次回、第22回(偶数回)は、10/6(火)13:30~15:00ハイデガーの『存在と時間』より、第2篇 第1章「死」の後半部分です。

 

第23回(奇数回)は、10/15(木)10:30~12:00『生きる場からの哲学入門』より、「存在しない仏に祈る―浄土仏教は生きているか」を扱います。
レジュメ作成と報告は、みらいつくり研究所の活動のひとつ、「みらいつくり大学」の教務主任である宮田直子が担当してくれます。

当日参加だけでなく、希望があればアーカイブ動画も共有できます。ぜひ、ご連絡ください。

皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

 

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