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第19回 みらいつくり哲学学校オンライン 開催報告

 

2020年9月17日(木) 13:30~15:00、第19回となる「みらいつくり哲学学校オンライン」を開催しました。

 

奇数回は、大阪哲学学校編『生きる場からの哲学入門』を課題図書にしています。

 

今回は、哲学学校の共同主催者である障がい当事者のあいさんが、レジュメ作成および報告を担当してくれました。

 

テーマは、「障がい者の生き方」でした。

 

 

著者が2016年に出版した音楽に関する冊子のあとがき内で、自身が精神障がいである旨を綴った。というところから、著者の障がいに関連する諸問題への哲学が始まります。

 

 

当初はあとがきで自身の障がいについてを書く予定はなかったようですが、相模原の事件(2016年)や精神障がい者を「正しく理解してもらえる」ような行動をとってこなかったことへの反省、当事者会の活動、はじめに述べた冊子の作製を通して、自分の事をあとがきに書こうと考えたそうです。

 

あとがき内では、自身の障がいとの付き合い方や、冊子の出版を依頼した就労支援B型の出版部の人々のように、精神障がいがあっても地域で十分に生きて行くことができる、そういう人は大勢いる。という事を伝えていました。

 

 

次に著者は、優生思想とノーマライゼーションについての考えを論じます。

 

優生思想は、

・「不適格者は死ね、殺せ」というような考え方

・ナチス:不適格者には「慈悲死」「安楽死」を、不適格者の排除は差別ではなく合理性に基づく「選別」の判断に過ぎない

 

ノーマライゼーションは、

・障がい者などが地域で普通の生活を営むことを当然とする福祉の基本的考え

・現在の当たり前の暮らし

 

というそれぞれの特徴を挙げました。

 

優生思想による「不適格者」には障がい者も含まれることから、優生思想という考え方が精神障がい者を殺す。

また、筆者は精神障がい者ゆえの「生きづらさ」を抱えつつ、「あたりまえの、ささやかな暮らし」を営んでいる。優生思想という考え方が踏み込んでくれば、私たちの「あたりまえの、ささやかな幸せ」が失われる。といった、優生思想に対する考えを述べました。

 

その中で、筆者は2つの疑問・自身の考えを示します。

 

疑問①:「人を殺すための思想」なんてあるのだろうか?

→思想とは「人間が、良く生きるための考え」であって、決して「人を殺すことを正当化するような考え方」ではない。ゆえに、優生思想は、ノーマライゼーションに席を譲らなければならないという考え

 

疑問②:「不適格者」の定義とは何か?

→自分たちに「都合の良い者=適格者」「都合の悪い者=不適格者」とする見方には、偏見や差別がある。障がい者であろうと、「不適格者」という名のもとに「慈悲死」も「安楽死」もされるべきではないという考え

 

 

これら2つの考えと、広辞苑の「普通」という単語の意味を抜き出しながら、

『健常者と障がい者が共に生きる社会が、ごく「普通」の「あたりまえ」の社会。それを受け入れず、無理やりにでも他者を排除しようとする優生思想という考え方は、「あたりまえ」ではない「異常な社会」を生む。』として、優生思想を否定します。

 

 

最後に、冊子の出版を依頼した精神障がいの人たちが働く就労継続支援B型事業所の人々を改めて挙げ、「精神障がい者は何もできないわけではない。できる範囲のことはできる。筆者もまた、自身のできる範囲で、自分の意思を伝えようと文章を書いている。」というメッセージがあり、これらを通して、筆者なりの障がい者の生き方が語られていました。

 

報告者のあいさんは、注釈や補足情報なども加えた丁寧で分かりやすい報告をしてくれました。

 

 

 

ディスカッションの内容は、主に3つの論点が挙がりました。

 

思想とは?:

著者の『思想とは「人間が、良く生きるための考え」であって、決して「人を殺すことを正当化するような考え方」ではない。』という主張に対して、「~という考え方は思想ではない」と言うことは出来ないのでは? 善悪含めて思想、悪いものを思想と言えないというのなら、逆にいいものも思想と言うことは出来なくなるのでは? といった参加者の考えから、思想に関する考察が深まりました。

 

・差別や排除について:

普通・差別・障がいといった言葉を聞くと、なぜだか分からないが「びくっ」っと感じる。敏感になる。といった言語化できない感覚についてや、参加者それぞれが差別や優生思想のような他者を排除する気持ちが全くないとは言い切れず、そのような思いを持っていることを自覚し、見つめることの重要性が語られました。

また、ある参加者が昔見たショートアニメの内容から、「みんな」をどこに置くかで排除される対象は変化すること。今マジョリティ(多数派)にいる人々も排除される可能性は充分にある。という意見も出ました。

 

「優生思想」と「ノーマライゼーション」は対立している?:

著者は、優生思想とノーマライゼーションを対立する2つの事柄として挙げていましたが、参加者の中では、疑問視する声も上がりました。

 

今回はこの他にも沢山の論点が挙がりました。参加者それぞれが、自身の体験や気持ちを言葉にしてくれたおかげで、より深いディスカッションができたのではないかと思います。

 

「障がい者」という言葉、出所の定かでないイメージ(偏見)によって、障がいのある方やマイノリティとされる方々が生きづらさを感じる場面は多々あると思います。そういったイメージは、無知・無関心からも来るのかもしれません。自分やその周り以外にも、関心を持てるかが重要なのかなと思ったりしました。

 

次回、第20回(偶数回)は、9/24日(木)13:30~15:00ハイデガーの『存在と時間』より、第2篇 第1章「死」の前半部分です。ついに第2編が始まります。

 

第21回(奇数回)は、10/1(木)10:30~12:00(※時間に注意です)『生きる場からの哲学入門』より、「農から現在を見る」を扱います。

レジュメ作成と報告は、「みらいつくり食堂」の運営を担っていた管理栄養士の久保香苗が担当してくれます。

 

当日参加だけでなく、希望があればアーカイブ動画も共有できます。ぜひ、ご連絡ください。

皆さまのご参加をお待ちしております。

 

執筆:吉成亜実(みらいつくり研究所 リサーチフェロー兼ライター)

 

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