Works

しさくの詩集7月号(第2回しさくの広場)作品No.008

禍絶つ無理

滝壺から流れ出たあたり
川に連なる石の上
蝸牛が一匹

触覚を長く伸ばし
石が連なっているのか
川で隔てられているのか

石から石へ
ゆっくりと
体を伸ばして
川の渦に巻き込まれないように
わたる

ときには触覚を川の中へ
ときには岩の下に逆さになって

石の連なりは岸には連なっていない
蝸牛はまだ
それを知らない

時間は過ぎる

なんであんなとこ行ったのかな
誰かが置いたのかな
つまんであげたら助けられるんだけどな

大丈夫
蝸牛にとって
余暇なんだよ
うわー
絶壁だよー
って
もしかしたら
泊をともなう
エンターテイメント
家に戻って
大冒険の話をするんじゃない?

うん
そうなのかも

人間だって
蝸牛と同じく禍の渦の中
此岸の過去か
彼岸のあちらか

 


week2

岸に辿り着けないことを蝸牛が知るのに、いったいどれだけの時間がかかるのでしょうか。私のこの道も、実はどこにも辿り着けなかったらどうしましょう。そしたら、引き返して、「いやー大変だったわー!」って誰かに熱く語ろうかしら。

―――

小さい頃に、キャンプに行った先で大きな蝸牛をつかまえて、じゃがりこの空容器で飼おうとしたことを思い出しました。きゅうりを一緒に入れておいたけれど、夜中のうちに逃げられてしまいました。ちょっと寂しい思い出です。

―――

私からは川をただ渡っただけのように見えても、カタツムリにとっては大冒険なのかもしれません。どちらが正解でもありません。カタツムリは私を「なんであんなに急いでいるんだろう」と不思議に見ているかもしれないと思いました。

―――

コロナ禍をさまようひとをカタツムリに見立てているのですね。

ペースはゆっくり。あっちへ行ってもこっちへ行っても大丈夫と言ってくれているような。

そんな気分になります。


week3

私の自宅の近くには割と大きな滝があり、滝つぼから流れる川のあたりまで降りていく遊歩道があります。

昔は子供たちを連れて遊びに行っていたのですが、この度の自粛期間中に妻と二人で久しぶりに行きました。

石の上でゆっくり動く蝸牛を見ていて、最終的にどうなるのか見ていたいと思いながら、何時間かかるかな…と思っていた時です。

妻が「大丈夫 ~ 大冒険の話をするんじゃない?」と言いました。

なんだか、見え方が一気に変わったような気がして、とても納得してしまいました。

それと同時に、視点を変えれば、いまの自分もこの蝸牛と同じなんだな~と思いました。

「こちら側」に戻るのか、「あちら側」に渡るのか、「あちら側」はどんな世界なのか。

でも、いずれにしたって「川のどちら側か」というだけなんだな~とも思いました。

だったら、家に戻って大冒険の話ができればいいのかな、そんな風に思いました。