2025.9.18
喀痰吸引研修レポートNo.7,最終回です.
今回(最終回)も,おそらくはっきりとした結論が出ないままに終わる気がします.
せめて,いったんこのもやもやをどんな棚に入れておこうかと考えて,終わっていこうと思っています.
もうすでに忘れかけている今,改めて考えると,やはり私は伝達を批判する立場をとります.
(この立場をとるというより,とらなければいけない・とりたい,の方がしっくりきます.)
医療と伝達の関係について考える.
私が稲生会でもう少しやらなければいけないと思うことができました.
伝達の修行であった喀痰吸引研修を乗り切るために助けとなったことについて書きます.
まずは仲間からの助言です.
みらいつくり大学でもご一緒しているあみすけさんは,
心が折れている私に「逃げたらいい」と言ってくれました.
たくさん話を聞いてくれて,「私もおばさんになるって話してたんだ」と言ってくれました.
(私たちの「戦略としてのおばさん」についてはぜひ個別にお声かけください.)
私の尊敬する一人であるヘルパーの梅村さんは,
自分が似たような研修から逃げ出した経験を分かち合いつつ,
「ニコニコしてたらいいんだよ」と言ってくれました.
もう一つは詩的言語です.
みらいつくり大学の哲学学校では,今,ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』を読んでいます.
その中で,バトラーはクリステヴァの言語理論を引用しつつ,
詩的言語を,父の法を粉砕し撹乱し置換する潜在力をもつものとして紹介します.
(ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』青土社,p.151)
私はラカンを勉強したわけではありませんし,この本を読み進めていてわかったことよりもわからなかったことが増えています.
わからないながらも詩的言語がシステムへの抵抗になるという理解だけが私の頭の中に残っていました.
私は喀痰吸引研修を受講しながら短歌をつくり始めました.
私は短歌の専門家ではありません.ある本で「31字なら短歌」と読んで,それだけを頼りにつくり始めました.
8月に友人に会うために釧路に行きました.
その旅行中のメモから短歌をつくりました.
YouTubeに短歌を勧められた私はしさくの広場にひとり
札幌を出た後で逃げたと知る3泊4日の道東旅行
伊集院さんに憧れネットカフェに泊まるが話す予定はない
たこ焼きが安いらしいのだが一度受け取った整理券を返す
通は泉屋風と言われ食べたことのないスパカツいつも一人
モグラが踏まれた理由とは眩しかったのか光がなかったのか
自撮りをやめる隙もない急な雨が別海のアイスを薄める
別海の真っ直ぐな道と線状降水帯が交わる奇跡
雨は降らず彼らは大臣をheと呼び私たちはsheと呼ぶ
この遊び場の隠さない曲線構造は子ども観の表明
幕別の祖母を思い出す「余ってもいいから」とおにぎりを三つ
逆方向に発進する角ばった緑と曲線のおおぞら
今週笑えるのは夏の旅のおかげ春日さんのフリートーク
喀痰吸引研修の演習中に色々なメモを取りました.
いくつかの短歌を作りました.
ハツラツと一問一答式の問いかけ「義務と責任」が答え
同じ時間に同じエネルギーを補給する私はただの機械
今が江戸時代なら・・・・・・・・*を闇討ちにする
・・・・・・・・・*で教えるのは訴えられないための・・・・*
(*短歌にしたのはよかったのですが,一般に公開するには良くない言葉を使ってしまったために隠してあります.オリジナル版を読みたい方は,松井まで個別にご連絡ください.)
研修を終えて,ある友人と話をしていた時,読書の仕方が話題になりました.
その友人は,読書をする時に書いた人の論理を一度飲み込むとのことでした.
他人の靴を履く,という言葉がありますが,おそらくそのようにして著者の論理を理解しようと読んだ上で考えるらしいのです.
私の読書の方法とは違っていました.
私は,赤いペンで線を引きながらこの箇所に私が応答するならと考え,コメントを書き込んで本を読みます.
一度その論理を飲み込むこと.
私がこれから取り組まなければいけないのは,そんな鍛錬なのかもしれません.
批判的に読むこと.
これは私がみらいつくり大学の各活動を通して身につけつつある態度です.
私は昔から怖い映画が苦手でした.
血が出る作品やバイオレンスなシーンがある映画はただドキドキしてしまって観られなかった.
でも映画同好会を通して,この表現の意味はと考えながらだと楽しく観ることができるようになってきました.
でも,まだ観られないジャンルが残っています.
ホラーと括られる作品群です.
一度論理を飲み込むこと.
もしこれができるようになったら,私の世界はもう少しだけ広がるのかもしれません.
研修を終えて,今,そんなことを考えています.
読んでくださった方,ありがとうございました.
みらいつくり研究所
まついかい