2025.9.3
喀痰吸引研修レポートNo.6です.
もう忘れかけているのですがレポートを続けます.
前回,私は伝達にも類型があるのではないかと書きました.
私の独自調査(n=2)によると,当研修において人気があるのは「効率重視型」でした.
様々な型があるとはいえ,伝達の場に身を置くことは簡単なことではありませんでした.
私のお師匠である宮崎隆志は「回路」という言葉を使います.
研修の中で自分の意見が聞かれることはもちろん大切です.
さらに,その研修のあり方・活動自体に,参加者のあり方が影響することができるか.
活動への「回路」,
場のあり方そのものへの「回路」,
少なくとも私はそのように理解をしてみらいつくり大学をはじめとした実践に関わっています.
今回受講した喀痰吸引研修では私の意見は全く必要ではありませんでした.
示された経管栄養の注入を実施する際の手順には,注入直後・注入中・注入後の確認項目がそれぞれあります.
項目の一つに「気分不快なし!」と指差し確認する場面があります.
まず私は,患者さんに向かって指をさして確認していいのだろうか…,と思いました.
でもそんなことを考えているとテストに合格できません.
「気分」って指をさして確認できるものだろうか….
でもそんなことをいちいち質問したら嫌われてしまうでしょう.
私だったら,自分の「気分」を誰かに勝手に確認されたら腹が立つかもしれない….
でもそんなことを言って,講師の気分が悪くなってしまったら不合格になるでしょう.
私は考えないように考えないようにと自分に言い聞かせながら,「気分不快なし!」と指差し確認をしました.
そんな中,グループに分かれて演習をしている際に,ある講師が「現場ではね」と話をしてくれました.
「栄養点滴チューブはどこかに引っかけてしまうと大変だから,スタンドと一緒にまとめて片手で持つといいよ」
「注入直後に呼吸困難が出ることはあまり想定できないよ.もし出たとしたら,注入が原因でない場合が考えられるから注意してね」
「気分の不快は,実際はご本人に聞かないとわからないよね」
「『栄養を注入します』ってあるけど,『食事の準備できました』の方がいいかもね.その人にとっては大切な食事だから」
私は講義の中で使われる「栄養」「栄養剤」「食事」この三つの言葉の使い分けが曖昧であることが気になっていました.
気になっていたけれど気にしないように努めていたことを思い出しました.
気になったことも気にしないように努めていたことも忘れてしまっていたのです.
でも,この講師は運営者から注意を受けていました.
暗記する項目を伝えているので勝手に変更しないでください,そういった趣旨の注意だったと思います.
一緒のグループで教わっていた受講生は,混乱していたようでした.
前日に教えられた暗記した項目が間違っていると言われたように感じたようで「マニュアルの通りやってほしい」とつぶやいていました.
「現場では〜」と話してくれた講師は,「効率重視型」ではないのです.
私がこのレポートでしたいことは誰かを責めることではありません.
伝達を徹底する講師も,
「現場では」と話してくれた講師も,
注意をした運営者も,
もちろん一所懸命暗記しようとしていた受講生も,
それぞれに頑張って仕事をしています.
決してそれを責めたいわけではないのです.
でも,何かがおかしいと思いました.
おかしいと思ったけれど,そんなことを考えていたら不合格になってしまうかもしれません.
後で考え直せるようにメモを残して,伝達されることに集中しました.
伝達されることに集中することに何だか罪悪感のようなものがあることにも気がつきました.
このことも簡単にメモをしました.
隣に座っていた受講生は,暗記することが苦手そうでした.
私は,少なくとも小中学校において,伝達されることが苦手ではなかったことを思い出しました.
伝達される客体としてこの場で上手に振る舞うことのできる優越感のような気持ちが自分の中にあることにも気がつきました.
同時に,自分が覚えられないかもしれない,と心配になった時には,劣等感がムクムクと膨らんで,自分がダメな人間であるような気がしました.
喀痰吸引研修レポートは,次回で最終回にしたいと思います.
こんなもやもやを私はどの引き出しに入れておこうか,そんなことを考えて,終了したいと思います.
誰が読んでくれているのかわからないけれど,お楽しみに.
みらいつくり研究所
まついかい