どんな名前のタイトルをつければ良いかわからないもやもやを見つけました.
先日,みらいつくり大学の活動について,見学をしたいという旨の連絡を受けました.
「障害のある方だけではなく,さまざまな方が参加されている様子なども参考にさせていただきたい…」
紹介してくださった方は,私に丁寧にメールをくれました.
いくつか案が浮かびました.
連絡をいただいた通り,障害者と健常者がその立場に関係なく参加している講座を紹介したいと考えました.
私は,あみすけさんに連絡をしようとチャットを立ち上げました.
でも,チャットで何を書いたらいいのかわからなくなってしまい,しばらく画面を開いたまま考え込んでしまいました.
いくつか文章をつくっては消すことを繰り返しました.
どの文章にも,なんだか違和感があり,読んでいて気持ちが悪いのです.
このもやもやがはっきりとしないままに書いておこうと思います.
私は,みらいつくり大学を,「障害者も健常者もともに学ぶ場」として紹介したくないのかもしれません.
私は,オタクの語り場を,「障害者が主催している講座」として紹介したくないのかもしれません.
私は,あみすけさんを,「障害者」として紹介したくないのかもしれません.
「障害のある方だけではなく,さまざまな方が参加されている様子なども参考にさせていただきたい…」
そんな連絡を受けて,
私は,みらいつくり大学で関わっている「障害がある方」を思い浮かべました.
その一人が,あみすけさんです.
私は「障害がある方」を思い浮かべると同時に,「障害がない方」も思い浮かべているのだと思います.
この「思い浮かべたこと」が「私の実感」とズレているので,私は気持ちが悪いのかもしれません.
「私の実感」では,障害者の健常者の線引きは曖昧です.
オタクの語り場の今の所のレギュラーメンバーは,あみすけさん,wadaさん,奥ちゃん,chamaさんです.
この4人の誰が障害者で誰が健常者かはっきりと線を引くことができません.
それは,「障害者も健常者も同じ人間だよね!」とかいうことではなく,本当にわからないのです.
オンラインの活動であることも,その線引きを曖昧にする要素の一つですが,それだけが理由ではありません.
先日,オタクの語り場に参加していたwadaさんが,「最近,手があがらないので食事当番をスキップしています」と話していました.
手があがらなくなったwadaさんは障害者?健常者?,
どっちで呼ぶのも私はなんだか嫌だし,どちらで呼ばれるのもwadaさんは嫌がるような気がします.
「wadaさんの手があがらなくなった」なら説明できます.
私がそんな話を妻にしたら,妻は「それは大変だね」と言いました.
これで十分な気がします.
私:「あみすけさんって,ケンタッキーを5ピースも食べれるんだって」
妻:「え!すごい,私なら絶対無理」
私:「奥ちゃんね,シャケ弁当のシャケを蓋に乗せて食べますかって聞いてたよ」
妻:「ふふふ,さすが奥ちゃん」
こんな説明だったら,楽しくできるのに.
見学の対応,どうしよう.
ああ,もやもやする.
上手な着地をしないまま,終わりでーす.
みらいつくり研究所
まついかい